喋る日記帳

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自慢話の辞め方と普通の人のススメ

開いた時間があると、雑談とかしてますよね。

その時に、自慢話とか知識をひけらかす自分があまり好きではない。

けど、言ってると尊敬してもらえそうで、話をしちゃう。

言った後で後悔する自慢話。あれって何でしてしまうんだろう。

 

アドラー心理学的には「優越コンプレックス」があると言われるらしい。劣等感の裏返しで自慢話をしてしまう。

 

わざわざ言葉にして自慢している人は、むしろ自分に自信がないのです。アドラーは、はっきりと指摘しています。「もしも自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからに過ぎない」と。

 

 

つまり、知識が豊富だったり、優れた業績を昔はあげていた。けど今は持っていないから、不安でどうしようもない自分なんだろうと思います。

それは、”理想の自分”・”他者と比較した自分”と現実の自分を比べてしまっているから、不安定になる・劣等感を感じるのだと。

 

 

この胸の中が空っぽな感覚・劣等感を埋めるためには、自分を受け入れることが必要だとアドラーは言います。

 

普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」を「無能であること」と同義で捉えているのでしょう。普通であることは無能なのではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要など無いのです。

 

この言葉には目から鱗でした。

もちろん、この言葉に対して本書では議論が展開されています。

確かに、意識していなかったけど、その通りだと思います。

私はわずか3年ですが研究室という、成果競争の中で成果を上げるために努力しました。

しかし、優れた業績を上げるものは数パーセントであり、1・2歳差なんてものは壁にもなりません。優れた才能を持つ後輩に優れた成果を出され、挫折しそうになった経験もあります。

結局私は、上役や著名人のような数パーセントの人間は成れない。恐らく多くの人がそうであるように。

そして私は普通であることは宿命付けられていて、そのポテンシャルの中で頑張るしか無いと。実感しています。

 

理想の自分を設定し、それを糧に自己鍛錬することは非常に大切です。

しかし、変えられるものと変えられないものがあるように、例え理想の自分になれなくても、理想の自分に成るための努力をするだけで素晴らしいと捉えるべきだと思いました。

 

そうすれば、優越性を保持しようとする自慢話も減るだろうし、自慢話をするくらいなら鍛錬する努力に力を入れるだろうと。

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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