喋る日記帳

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一人でも大丈夫な世界

親密な人間関係とは、必要なのだろうか。

最近の人は親密な関係を避けるようになっていると思う。

少なくとも、私は該当するかもしれない。

本心全てを明かさず、心を許せる存在が居ない程度だ。

もしかしたら寂しいと思う人が居るかもしれない。

しかし、人間の数だけ個性がある様に「生き方」や「必要な人との距離」も異なってくる。

そんな多様性が受け入れられている世界になってきたんじゃないかなぁって話。

 

今回は3ステップで世の中が変わっていくんじゃないかなって話。

だからこそ、もうちょっと生きてみようとか、明日へ期待をかけてみれたら幸いです。

今回は勝手な歴史解釈もしてるのでご指摘いただければ幸いです。

 

1.前置き、孤独な群衆

2.本題 一人でも大丈夫な世界

 

 

1.孤独な群衆

 

 

 

孤独な群衆

 

孤独な群衆というのは、世界史か何かで習った気がするけれどもご存じだろうか。

私もあいまいだけれど、都会に出て人とたくさん接しているのに、近くの人は知り合いでもなければ、友人でもない。

そんな人たちが孤独な群衆として描かれていた気がする。

 

産業革命以降、機械を効率よく動かすために人手が必要になる。

その人手は、田舎で畑を耕していた若者だったし、一攫千金を夢見る企業家でもあっただろう。

そうした人々が、工場を求めて都市部へ行く。

都市部の人は、誰も私の事を知らないけれど、そこにはたくさんの労働先と、娯楽が待っている。

こうして孤独な群衆は増えていく。

 

別に悪いとかではなく、100年以上前から孤独に苦しんでた人がいるよって話。

それでも生きていて、今までつながってきている。

 

2.一人でも大丈夫な世界

 

一人と孤独はちょっと違う。

孤独とは、他者と隔絶しているしコミュニケーションも自己完結している状態だろう。

一人とは、人間がそこに1匹いる、だけだ。

それが技術の発達によって一人で生きているけるようになった。

 

以前は効率よく労働するために、集団でしか生きられなかった私たちだ。

これは、集団に帰属する=生存率の向上のため本能と適している。

 

しかし、一人でいる=本能に反する。

だから一人でも平気なはずなのになんか辛い状態の人が一定数居る気がするのだ。

私はそうだった。

こうした本能は仕方ないと諫めても何度も言い寄ってくる。

お前は危険な状態だ。と。

こうした集団への帰属感を出すために、人は今も群れているのではないだろうか。

 

私は、森さんの本が好きというか、生き方が好きなのだけれど。

(金を稼ぐためといって小説を書く、吹き飛んだ人っていう勝手なイメージ)

この人の書いた孤独に関する考察もやっぱり好きだった。

 

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さてさて、

 

本能が理解できる集団への帰属方法は昔を紐解くとヒントが得られやすい。

人はなんで祭りを好んだのか。

なぜ音楽はどの祭りでも必須なのか。

踊りは、金を鳴らすことは。

などなどなど・・・

疲れたのでまた次回。